スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

葉っぱのフレディのミュージカルを観て来ました

20060902083850.jpg

実はチケット割引が当たって、家族四人でメルパルクホールに行くことに。
生の舞台を観に行くなんて何年ぶりだろう。

久しぶりの大阪の街にくりだすと、
学生の頃の自分に戻って足取りが軽くなります。
人、人、人が様々な方向に向かってせかせか歩いているけど
ぶつかることはない…
「ああ~大阪やなぁ~~~」
やっぱ好きやねん、と思ってしまう。

そして「葉っぱのフレディ」
子供たちが演じる葉っぱは感心するほどうまい。
そこに人間ドラマがからんでくるところは
原作にはないところです。

老医師が舞台の進行役なのですが、
その老人が語るエピソードは
日野原重明先生が若かりし頃、出会った結核患者の少女のお話、
実際のお話なのだそうです。

そのくだりには涙が溢れました。

前にも書いたのですが、
フレディが舞い散るとき、自分のいた木の全体を初めて見ることが出来た、
という原作のシーンには私の思い入れがあります。

スローモーションのように散りながら、自分を生かしていた大いなるものの実態を
つらつらと知ることができたら…
願わくはそのような最期であることを…

心が洗われる様なステージでした。

追記
「ちょいわる嫁」は、ながく留めておく記事ではないので、
削除させてもらいました。
レスを下さったケメコさん、杏さん、ありがとうございました。
甥、姪の可愛さに癒され、リフレッシュしてきました~~
弟の奥さんは子供たちを寝かせながら奥の部屋で聞いておられたと
思いますが、
弟と父母、私の4人で朝までいろんな思い出話をしたのは
まあ、滅多にないことでしょうね。
私たちの知らない父母の若かりし頃の貴重な話は、
録音しとけばよかったと、後で言ったことでした。
スポンサーサイト

葉っぱのフレディ

「葉っぱのフレディ」がミュージカル劇になりこの夏お目見えする。
日野原重明先生の企画、原案で、
「葉っぱのフレディには人間が生きることの全てが含まれている」
とおっしゃっている。

この本は2年ほど前に図書館で借りて読みました。

葉っぱのフレディが、まさに木から舞い散ってゆくとき
スローモーションの様にゆっくりと
今まで自分のいた大木の全体像が見えてくる…

というところが忘れられません。
自分が死ぬとか生きるとかを越えた
大きな営みがそこにあって、
それによって生かされていた驚き、
感謝だけの世界。

生きているうちには見えなかった木の(生命の)全体像が
死に逝く時に初めて見える…。

願わくば私が逝くときもそうあって欲しい。

このミュージカルは6月10日前売り開始。
私は多分行かないけれど、もう一度本を読み返したくなっています。

(この下の記事も読んで下さいね。
よろしくお願いします。ぺこり。)

田辺聖子の「いっしょにお茶を」

このブログの名前をつけるときに
田辺聖子のエッセイ「いっしょにお茶を」
から勝手に名前をいただいた。

このエッセイ、もう絶版になっていて
古本でしか手に入らない。
なんて惜しい~、とってもいいエッセイなのに~と
叫んでしまう。

読むと心底、元気になります。
「あ~~~そうそう!そうやねん!ほんまに~」
と思わず膝を打つこと、1万回。

軽妙でいて奥の深い語り口。
保守的なようで先取している「女」のとらえかた。
女に生まれてよかったかもねと思わせてくれる一方、
男を愛しく感じさせてくれたりもする。

私は足元にも及ばずながら
お聖さんのような文章を書きたくてしょうがないのです。
(もちょっと人生経験を積まないとね…^^;)

もしよかったら、読んでみて下さいね。

紅茶

Author:紅茶
子どもの自立、自律を目指し苦戦中(高2娘、中3息子あり)
介護は昨年7月に終わりを迎えました
読み聞かせのボランティア継続中
時には歌手
キリスト者
「紅茶さん」と呼ばれる。(^^)/

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。