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介護

夏の暑さもふっとぶくらい凍りついた出来事

ショートから帰ってきて、数日経った日のこと、
朝からケアマネから電話があり、8月の予定を話していました。
何気なしに次のショートの計画を話していると、おばあちゃんに聞えていたらしい。。。。

お昼前に隣に住む義姉が、おばあちゃんの部屋の勝手口からなにか食べるものを持ってきてくれて…
隣のリビングにいる私に気がついていなかったらしく、おばあちゃんはこう義姉に言っていました。

「紅茶さんが電話で話してたんだけど、またどこかに連れて行かれるらしいから、○○(義姉の名)
そのとき、うちに来て面倒みて欲しい。(そしたら行かなくてすむ)」

「うちはずっと家におるからええけど…」

言葉を濁しながら義姉は帰っていきました。。。。。


凍り付いてしまった私。。。。
「うわ、聞いてしまった~」
と思うやいなや、私の携帯が鳴り出して…
…出ないわけにもいかず、

「はい~っ」思い切り明るい声で携帯に出た私…

(え~紅茶さん、いたの~!)
今度はおばあちゃんが凍りついたに違いないと思います。

私だって立ち聞きしたわけやないもの。
もとからこの部屋にいたんだもの。。。
義姉がいつも黙ってうちに入ってくるからいけないのよ。
「入るね~」とかなんとか声かけてくれたら、私だって
「あ~こんにちわ~」とかなんとか言って、隣のリビングにいることをアピールできるんだけど、、、、、

っていうか、ふつう人のうちに入るとき、そのくらい声をかけるもんじゃないでしょうか。



そんなこんなで義母の本音は(急に呼び方が「義母」に…^^;;)

「何度行ってもショートは嫌だ。行きたくない。紅茶さんが勝手に決めてくるから仕方なしに行っている。。。。体が痛い○○にお願いしてでもショート行きは見送りたい。。。」

こんなところでしょうね。。。。
昨年は一年に7回ほど行ってくれたのに、やっぱり何度利用しても、嫌なものは嫌なんでしょうね。
慣れるということはないのでしょう。。。。

日常生活の全般を私に全介助されながら、デイにも行きたがらず、ショートは2泊までにしているのにそれでも駄目なんかい?

リウマチや関節痛で全身、階段も上れない義姉に、介助を頼めるわけないではないですか。
「うちはずっと家におるからええけど」って、
私が家を離れている間だけ、ショートに行くのがかわいそうだから義姉が体の痛いのを押して、介助してくれるというのね。。。。。。。
すみませんねぇ。なんて私が頭下げて義姉に頼むわけですか?



今までずっとずっとずっとずっと、こういう身勝手な身内意識が私をさいなんできたのです。



どうして義姉は
「紅茶さんは日ごろずっとやってくれてるんだから、用事のあるときぐらい黙ってショートに行ってあげたらどうなの?体の悪い私に頼られても無理よ」
と義母に言ってくれないのでしょうか。


聞かなかったことにしたかった。
実の母娘なんだから、このくらいの会話をしても別に普通だと思うんだけど、
聞きたくなかった。


おばあちゃん、その後何度も、私の介助の度に
「疲れてるのにごめんね~」
「世話かけて悪いね~」
ばかり言ってたのは、携帯がなって私が出たとき、やっぱり凍りついたからだと思います。

しらを切って、知らん振りしている私。

嫁姑の悲しいところですね~。^^;;;
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介護

久しぶりのショートステイ

明日からスポーツ少年団のキャンプ。
ということで久しぶりにおばあちゃんにはショートに行ってもらいました。
2月のスキーのとき以来だから、おばあちゃんもローテンション。。。
それに今回は前のところがとれなくて、新しい所なんで、超ローテンション。。。。

初回なので私がついて行って職員さんにいろいろとお伝えしました。
一時間ほどいて帰ろうとしたら
「ちゃんと迎えにきてちょうだいよ」
だって。
「もちろん!」

私は私でスポ少の付き添い責任者という大役が待っているのです。

ちょっとおばあちゃん、私に依存しすぎ?

さいきん、デイの利用を考えているところです。
おばあちゃんには本来のたくましさ、しなやかさがあるんだから、しゃんとしていて欲しいものです。

日本

選挙まえにして曽野綾子

曽野綾子さんの記事「選挙という教育的刺激」(産経新聞6月30日)より



 福祉という言葉は一見美しいし、また事実、予防接種、がけ崩れを防ぐ処置、無収入の高齢者に食住を提供する制度などは、国家や社会の機能なしにはできないことである。

 しかし最近の人々の心理には、福祉や機会均等などの名目で、正当な対価を払わないで何でもしてもらえばいいという気風が出てきた。
払わずに何かをしてもらえることは、幼稚な子どもの心理を作り、もっと悪い言葉を使えば乞食根性を植え付け育てるものだと言うことには気がつかない。
人間、何かを手に入れるには、必ず分に応じて正当な価格を払うのが当然だ。

 今でも霞ヶ関の省庁街を歩いてみれば、中央分離帯は草ぼうぼう だ。悪く言えばペンペン草が生えていることに皆平気なのである。
私の母など、そんなうちとは縁組するな、と言うだろう。外国の代表も訪れる区域にぺんぺん草を生やして平気な神経は、私には分からない。
福祉を受けている人たちの中で体力のある人には、せめて霞ヶ関の掃除をさせたらいいと私などは短絡的に考える。
中央分離帯を清掃する責任はどこかの民間会社が入札で請け負っているのだろうが、それを果たしてもいない会社に金は払っているのだろう。
そんな目に見えている怠慢に気がつかない仕分け人が、すぐ近くの役所で執務しているわけである。

 高速道路の一部無料化も実施されたという。大勢に影響ない道ばかりですよ、と説明してくれた人もいるが、この時期に実施すると言うことは選挙目当ての人気取り企画だということは歴然としている。
それを見抜けないほど、国民は愚かではない。
財源のない子ども手当、理由のない高校授業料無料化も、国民を甘やかして票につなげようとするものだろう。

 高速道路を使う人は、その便利を享受するのだから、保全の費用くらいは払う癖をつけた方がいい。いやなら、一般道路を走るという方法が残されているのだから。

 子ども手当は、財源をきちんと決めてから、必要な家庭にだけ与えるべきだろう。
財布の中身も考えずに、たかだか3千円くらいのセーターがあるとローンを組んで買ってしまい、それっぽっちのお金さえ払えなくて夜逃げをした少女を昔知っていた。
政府はその愚かな娘と、基本的においては同じやり方をしている。

 すべての青年が、高校まで勉強したいとは思わないはずだ。高校の授業料無料化など甘えた人間を作るだけだろう。
本当に勉強したい子には、奨学資金制度を整備すればいいし、勉強するより職人になって働く方がどれだけ楽しいかと考える青年もたくさんいるはずだ。
好きなことは人間ほうっておいてもするのだ。しないのは、好きではないから、必要ないのである。

 要らないものを与える政策は害毒を流すだけだろう。それは買収行為そのものでもある。こうしてみると選挙もなかなか教育的な刺激だ。




然り、然り。その通りだと思います。

こないだ金美齢さんの講演会に行ってきた私の友人が、(80を過ぎた友人ですが…)
「日本は甘えた人間、甘えた子どもをどんどん作っていっている」
「国の最小単位である家庭にこそ、自立心のある子育てをしてもらいたい。」
というようなことを言っておられたそうで、
その凛としたお姿にとてもパワーを感じて帰ってこられました。

「子ども手当」「高校授業料無料化」
なんかおかしいぞ~~~~、なんかむずむずするような変だという感覚がありましたが、
曽野綾子さんがここまで単純明快に書いてくださってスッキリしました。

紅茶

Author:紅茶
子どもの自立、自律を目指し苦戦中(高2娘、中3息子あり)
介護は昨年7月に終わりを迎えました
読み聞かせのボランティア継続中
時には歌手
キリスト者
「紅茶さん」と呼ばれる。(^^)/

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