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物を運ぶという仕事について 3

そもそも物を運ぶ仕事の対価はどの程度のものなのか?
少なくとも物を生産する仕事に比べて対価は落ちるであろう。突き詰めれば子供の駄賃程度の仕事という見方もある。
そのような仕事のほとんどを敢えて国の仕事にして、郵便局が請け負っていた時代、私はそんな時代を知っている世代だ。

一枚のハガキを何日もかけて雪深い山間の村に配達する郵便屋さんのご苦労を小学校で習った時のことを私は今も覚えている。ハガキの切手代が確か10円だった時代だった。
ちゃんと届くかどうか保証もされていない配達物が、ちゃんと届いていたのだ。

もちろん例外もあったようで、中学の頃、クラスメイトが山の中に未配達の年賀状が大量に捨てられているのをたまたま発見し、警察に届けるという事件があった。年末だけのアルバイターが無責任に仕事を放棄したということだろう。
ものを運ぶという仕事がいかに不確かなものであるかを、その時初めて知った。
今になると、それだからこそ国の仕事にして責任を配達員に持たせるという仕組みの知恵に気づく。

子供の駄賃を惜しまなかったお年寄りの知恵。ものを運ぶという原始的な仕事に相当の対価を払うという知恵…そしてどんな困難な場所にでも責任を持ってものを届けようとする自負を配達員に持たせる仕組み。

そのような中で物が流通していた時代の方が今より成熟していたとは言えないか?

クリックひとつ、ボタンひとつでタダで物が届くという仕組みは、いつかは破綻するだろう。
たしかに言葉はクリックひとつでタダで届く時代になった。しかし物まで同じ感覚で扱おうとするのはどうか?

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紅茶

Author:紅茶
子どもの自立、自律を目指し苦戦中(高2娘、中3息子あり)
介護は昨年7月に終わりを迎えました
読み聞かせのボランティア継続中
時には歌手
キリスト者
「紅茶さん」と呼ばれる。(^^)/

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