葉っぱのフレディのミュージカルを観て来ました

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実はチケット割引が当たって、家族四人でメルパルクホールに行くことに。
生の舞台を観に行くなんて何年ぶりだろう。

久しぶりの大阪の街にくりだすと、
学生の頃の自分に戻って足取りが軽くなります。
人、人、人が様々な方向に向かってせかせか歩いているけど
ぶつかることはない…
「ああ~大阪やなぁ~~~」
やっぱ好きやねん、と思ってしまう。

そして「葉っぱのフレディ」
子供たちが演じる葉っぱは感心するほどうまい。
そこに人間ドラマがからんでくるところは
原作にはないところです。

老医師が舞台の進行役なのですが、
その老人が語るエピソードは
日野原重明先生が若かりし頃、出会った結核患者の少女のお話、
実際のお話なのだそうです。

そのくだりには涙が溢れました。

前にも書いたのですが、
フレディが舞い散るとき、自分のいた木の全体を初めて見ることが出来た、
という原作のシーンには私の思い入れがあります。

スローモーションのように散りながら、自分を生かしていた大いなるものの実態を
つらつらと知ることができたら…
願わくはそのような最期であることを…

心が洗われる様なステージでした。

追記
「ちょいわる嫁」は、ながく留めておく記事ではないので、
削除させてもらいました。
レスを下さったケメコさん、杏さん、ありがとうございました。
甥、姪の可愛さに癒され、リフレッシュしてきました~~
弟の奥さんは子供たちを寝かせながら奥の部屋で聞いておられたと
思いますが、
弟と父母、私の4人で朝までいろんな思い出話をしたのは
まあ、滅多にないことでしょうね。
私たちの知らない父母の若かりし頃の貴重な話は、
録音しとけばよかったと、後で言ったことでした。
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コメント

日野原先生のお話

日野原先生がまだ医者になりたての頃、
16歳の貧しい少女が、ひとり死んでいきました。
母一人子一人の家庭で、お母さんは遠い町で働いていて、なかなか見舞いにも来れない状況の中、少女は絵を描いていたそうです。
結核性腹膜炎の末期、健気に痛みと闘う少女に、先生は最後のモルヒネを打ってあげることしかできなかった。そのとき描いていたのが一艘の帆掛け舟。
「おお、帆掛け舟だね。誰が乗るのかな」
「私、一人で乗るの」
「先生も乗せてくれよ」
「私ひとりで乗るのよ」
という会話のあと、
「私はもう死んでいくんでしょう」
と言った少女に先生は
「そんなこと言わないで。大丈夫だよ」
と答えたそうです。

そしてまもなく一人で少女は旅立って逝きました。
先生は、どうしてあのとき
「そう、この帆掛け舟に乗って自由に素晴らしい旅に出てゆくんだよ」
と励ましてやれなかったのか、という後悔を持ち続けておられるんだそうです。
そしてその後悔が先生の医者としての基盤になったと。

ケメコさん。
このような生の舞台で観たものは子供の心に蓄積されていくものなんでしょうね。
息子ったら、途中の休憩のときに
「カッパのフレディって、なんだかんだ…」
と話し出すんで、
「げげげ、カッパじゃないよ~~~葉っぱ!」
と訂正したことでした。^^;;
全く、どこまでわかっているのやら…と思ったのですが、生の舞台の印象はきっとずっと残っていることだと思います。

とても重いテーマではありましたが、
葉っぱたちのシーンは明るくて楽しく躍動感に溢れていました。

ミュージカル

紅茶さん、こんにちは。
ご家族で、葉っぱのフレディのミュージカルをご覧になっていらしたとのこと、良かったですね。
その深いメッセージを子供のうちは読み取れなくても、心の深いところに蓄積されていて、生きる力の源になるんだろうなぁ‥なんて思いました。

生まれ育ったふるさとの空気や、ご両親や弟さんとの会話に癒されたんですね。^^
徐々にゆっくりでいいんじゃないかなぁ。
どうか無理してがんばり過ぎないようにね。

前の記事やコメントの削除、いっこうにかまいませんよ~。

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紅茶

Author:紅茶
子どもの自立、自律を目指し苦戦中(高2娘、中3息子あり)
介護は昨年7月に終わりを迎えました
読み聞かせのボランティア継続中
時には歌手
キリスト者
「紅茶さん」と呼ばれる。(^^)/