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物を運ぶという仕事について 4

昭和の時代と違い、今は夜遅くまで家を空けている共働き家庭が、ネット注文で色々な買い物をしている。お年寄りばかりで買い物に出かけられない世帯もあり、送料の節約はそのような家庭には必要なことだろう。
しかも時代は変わり、コンピュータやロボットがやってくれる仕事がすごい勢いで増えている。そのうち運送という仕事も自動運転システムやドローンに取って代わられる時代が来るのであろうか?トラック事故や宅配員の過剰労働も減るのであろうか?

そうなれば私などが心配していることは、昭和の古い人間の杞憂でしかなくなる。

そもそも、ものを運ぶという原始的な仕事は何なのか。
いつか単純労働を人間がすることはなくなるというが、物を運ぶという仕事が最初になくなるのではないか。送料も果てしなく安くなっていくのか。

ここから先は私などには想像もつかない。私にできることは〝そもそも〟ということに思いを致すこと。
人間の尊厳というものに思いを致すこと。
そしてこれからの世代の人たちに、それを伝えること。

時代の奴隷にはなるまいと思う。

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物を運ぶという仕事について 3

そもそも物を運ぶ仕事の対価はどの程度のものなのか?
少なくとも物を生産する仕事に比べて対価は落ちるであろう。突き詰めれば子供の駄賃程度の仕事という見方もある。
そのような仕事のほとんどを敢えて国の仕事にして、郵便局が請け負っていた時代、私はそんな時代を知っている世代だ。

一枚のハガキを何日もかけて雪深い山間の村に配達する郵便屋さんのご苦労を小学校で習った時のことを私は今も覚えている。ハガキの切手代が確か10円だった時代だった。
ちゃんと届くかどうか保証もされていない配達物が、ちゃんと届いていたのだ。

もちろん例外もあったようで、中学の頃、クラスメイトが山の中に未配達の年賀状が大量に捨てられているのをたまたま発見し、警察に届けるという事件があった。年末だけのアルバイターが無責任に仕事を放棄したということだろう。
ものを運ぶという仕事がいかに不確かなものであるかを、その時初めて知った。
今になると、それだからこそ国の仕事にして責任を配達員に持たせるという仕組みの知恵に気づく。

子供の駄賃を惜しまなかったお年寄りの知恵。ものを運ぶという原始的な仕事に相当の対価を払うという知恵…そしてどんな困難な場所にでも責任を持ってものを届けようとする自負を配達員に持たせる仕組み。

そのような中で物が流通していた時代の方が今より成熟していたとは言えないか?

クリックひとつ、ボタンひとつでタダで物が届くという仕組みは、いつかは破綻するだろう。
たしかに言葉はクリックひとつでタダで届く時代になった。しかし物まで同じ感覚で扱おうとするのはどうか?

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物を運ぶという仕事について 2

子供の頃、私が回覧板を持っていくとお隣のおばあちゃんは、ちょっと待ってねと言って奥からきまってお駄賃としてお菓子を持ってきてくれた。
物を運ぶことが駄賃をもらえる仕事であるという認識は、今も変わらない。
ましてや速攻で指定された時間帯に届けるという仕事には″駄″賃ではなく、それ相当の賃金が支払われるべきである。

そんな風に思っているので、送料がかからないネット通販を利用するときどうしても罪悪感がある。

友達に話すと、なあに、そのシステムによって委託料をもらっている運送会社も、社員、アルバイトさんも儲けているのよと言う。
しかし絶対にそんなことはないという自信が私にはあった。
なぜならちょっと前に私が玄関で受け取った宅配ものに驚愕したからである。

それはある総合商店からのもので、どんな安いものでも鉛筆一本から送料がタダだという。
私の娘なぞは、ふざけたことにいくつかお菓子をそこに注文したらしい。用意された品から順に届くというシステムで、なんと1日おきにスナック菓子がダンボールに入ってひとつずつ届いたのである。
私は配達する人に土下座したい気持ちになった。
その総合商店はどうせ送料がタダだからという考えらしい。いくら委託料を払っているからといっても、スナック菓子を毎日ひとつずつ運ばされる身になって考えることはできないのか?

こんなことがまかり通る世の中ではあるまい。いつかおかしなことになるはずだ。
私はその総合商店で物を注文することをやめた。娘にも話して、やめにするよう伝えた。

そんな折も折、バックしてきた宅配業者の車に私の車が追突されるという事故にあった。
ドライバーは後ろも見ずにバックしたと言う。いかにも疲れ切った様子で気の毒になるほどであったが、私の車は駐車中だったので一方的に相手方の不注意なのだからと弁償はしてもらうことになった。

勢いのある衝突で、私の車はかなりへこみ、修理代はおそらく20万円以上はかかると思われる。相手方はバックライトが粉々に割れていたが、それ以前にもぶつけたであろうへこみがあちこちにあり、ドライバーの生活ぶりが伺えた。その時は夕暮れで薄暗く、見るとその宅配車の荷台にはまだまだ未配達の商品が山積みだった。
申し訳ないねえと私は思わず頭を下げた。少し前に娘が頼んだお菓子のことが頭をよぎったのである。
そしてしばらくはその宅配ドライバーが会社に支払うであろうペナルティが彼の生活を圧迫するのではないかと心配した。

そうしているうちに、私は知ることになる。ヤマト運輸の配達員が1日に運ぶ個数が以前より20〜30個増えていて、配達が間に合わない、サービス残業のおびただしく増えているということを。
それは他でもないamazonのダッシュボタンサービスや、メルカリの人気によるものであるそうだ。
くわえて某総合商店のバラ配達システムの弊害もあるよと、私はつぶやいた。

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物を運ぶという仕事について 1

amazonが、部屋にいながらにしてボタンひとつで物が届くというシステムを開発した。
ネットを開く必要もなくただボタンを押すだけで、ある商品が一定の数だけ速攻で届くという。しかも送料はかからないという。

40年ほど前、子供だった私は、近未来にボタンひとつで自動的に物が届く世の中が来ると言われているのを半信半疑で聞いていた。
透明の管を通って商品が家庭に届くというイメージ画が雑誌に載っていたが、こんな馬鹿な社会になるはずがないと思っていた。

機能としてはその近未来がついにやって来たことになるが、実際はちょっと違っていて、届けるのは運送会社の人であって決して自動的に届くのではない。

たしかに倉庫から商品を取り出すのは自動ロボットがやる。徹底管理されている倉庫から圧倒的な速さで物が取り出されるのをテレビで見て驚嘆した。
しかしそこから最終的にはヤマトの宅配員さん、あるいはバイトさんが玄関先にまで届けるのであるが、その間には夜中の高速道路でトラックを走らせているあんちゃんの手にも依っているのである。
なのに送料がかからないというのは、一体どういうことなのだろう。

夜中に高速道路を一度でも走ったことがある人は、前後左右をトラックに囲まれて走る恐ろしさを体験したことがあるだろう。
うんちゃんが眠気に襲われていませんようにと祈るような気持ちになる。

だからこそ私には送料無料ということがどういうことなのか、まったく理解できないのである。

家族

折り返し地点かも

今は亡き舅が、倒れたのが20年前。

それからほんといろいろあり過ぎました。

未熟な私は翻弄されるばかりで、自分らしさとか日々の生きてる実感とかおろそかにしていたのかも知れません。
あるときから人間関係のトラップに引っかかり
不健全な方に傾きすぎて、倒れてしまいました。
立ち上がろうとしたら、また次の波…

しかし人のせいにはしまい。




6月14日の産経新聞の「朝の詩」より

「取扱説明書」
         笹川 勇(45)

過去ー
悔やむものではなく
学ぶもの

現在ー
嘆くものではなく
生きるもの

未来ー
恐れるものではなく
築くもの

使用方法にご注意を




はい。切り抜いて冷蔵庫に貼っています。


今「エニアグラム」というものを勉強しています。
それからハワイの「ホ、オポノポノ」というものも知りました。

エニアグラム

ホ オポノポノ

謎解きと癒しが今の私のキーワードです。

長年の介護、親戚との確執、そして娘の不登校。
その間に舅と姑とがゆっくりと病んで逝き、母は急逝。
そして今年はじめ、父までもが事故で天に逝ってしまいました。

神様が私に何を教えようとされているのか、私は何をどうすればいいのか、
わからないこと、不可解なことばかりで、感情も思考もパンクしそうになっていましたが、
父が天に逝った頃からだんだんと落ち着いてきて、よき出会いもあり
思い切って東京の勉強会にも行き、ふっきれつつあります。

父が天から応援してくれています。

「おまえな~いつまでもそんなことゆうてたらあかんぞ~」
「とうちゃんかてな、祈らんとやっていかれへんねんぞ。いわへんだけでなぁ」

生前の言葉がよみがえります。
弱かった父は祈りの人でした。
病いをかかえ矛盾の人でもありましたが、それ以上に私には祈りながら必死に生きた人でした。


エニアグラムはこの世の中で生きづらい時のとっかかりになります。
自分というものを知り、よき方向にもっていく、その方向を教えてくれます。
周りの人を理解し、人間関係に余計な労力を使わないで生きてゆくための知恵を与えてくれます。

あのときなんでああなったんやろ、、、という過去の出来事の謎解きをしてくれます。

そうするとドロドロと足元に絡みついてくるものから、すぽんと足を抜いて、
すたすたと歩くことができるようになります。

ドロドロの心が邪魔して、いつのまにか祈るに祈れなくなっていた私でした。

「あなたの場所はここよ~おかえり~!」
という本来の場所に魂が帰りつつあります。

生きてるといろいろあるのね。
いろいろな人がいるのね。
自分はこんなに弱かったのね。

人生という予備校には難問がぎっしりだけど、
祈りと希望を回復しさえすれば大丈夫だと思えています。


紅茶

Author:紅茶
子どもの自立、自律を目指し苦戦中(高2娘、中3息子あり)
介護は昨年7月に終わりを迎えました
読み聞かせのボランティア継続中
時には歌手
キリスト者
「紅茶さん」と呼ばれる。(^^)/